親だから、子育てを学びにもどる意義がある | アタッチメントアカデミア

親だから、子育てを学びにもどる意義がある

親だから、子育てを学びにもどる意義がある

アタッチメント・アカデミアは、
親や教育者が、子育てを学びに
もどるための「大人の学校」です。

親だから、子育てを学びにもどる意義がある

子育てをしている親なら、子どもの育ちや教育について、常に悩みや葛藤を抱えるでしょう。そこには明確な答えはなく、「これでいいの?」と自問自答しながら日々は過ぎていきます。ネットやテレビ、雑誌や書籍に救いを求めても、ますますわからなくなるばかりです。「わが子らしく育ってほしい」「この子の個性を伸ばしてあげたい」と心から思っているのだけど、結局まわりのママと同じことをして安心してしまいます。

『子どもがもっている能力をみつけて伸ばしたり、興味をもったことにトコトン打ち込んだり、さまざまな困難に対応する問題解決力を発揮したり、そういう資質を育ててあげたい。』全ての親の本当の願いではないでしょうか。 そのためには、「知識とスキル」が必要不可欠です。つまり、子育てを“ちゃんと学ぶ” ということです。

“ちゃんと学ぶ”とは、
体系を捉え、セオリーと理論を理解すること

断片的な情報の集合体ではなく、体系を学ぶ。

アタッチメント・非認知スキル・自己肯定感・自律性・探求心・共感力・コミュニケーション力・・・これらはすべて近年、子育てや教育において重要だとされて注目されている概念です。これらの言葉を知っているだけなら、それは単なる情報の集合体に過ぎません。なんの役にも立たないどころか、マイナスの影響さえあります。知っているだけなら、むしろ知らない方がマシでさえあるのです。一方で、その背景にある「体系」を学べば、これらの言葉は、それぞれ繋がりをもち、子どもの発達という文脈で、ひとつの物語をつむぎます。

具体的なハウツーやノウハウではなく、セオリーと理論を学ぶ。

「あーすれば、こうなる!」「〇〇な声かけをすれば、頭がよくなる」「高IQの子どもの親がしていること〇選」・・・こうしたノウハウやハウツーをいくら知っていても、なんの役にも立たないどころか、マイナスの影響さえあります。知っているだけなら、むしろ知らない方がマシでさえあるのです。一方で、その背景にある「セオリーと理論」を学べば、嘘と本当が見分けられるようになります。個々のノウハウやハウツーの「何が」「どう」よいのか、「なぜ」そう言えるのかの“メカニズム”がわかります。それによって、我が子の発達に合わせたハウツーを、みずから作り出せるようになります。

“ちゃんと学ぶ”とは、本来そういうことです。

“得られる学び”は人によって、子どもによって違う

“得られる学び”は人によって、子どもによって違う

こうして「学びなおす」という行動にでたとき、同じ講座を学んでも、受け手の状況や親としての問題意識、あるいは子どもの年齢や発達段階によって、“得られる学び”は全く違います。別の言い方をすると、コンテンツのなかから、何を得て、どこを活用するかは、その人次第です。

学んだすべての中から、たった一つか二つの“自分なりの学び”を得て、実践に移せれば、事は前に進み、つぎのステージに進むことができます。

すべての学びは、
のちのステージで効力を発揮する

すべての学びは、のちのステージで効力を発揮する

では、それ以外の内容は、無駄になってしまうでしょうか?そんなことはありません。それらは、次のステージに進んだ後に、効力を発揮します。より広い、より深い経験を得たからこそ、次のステージでは、何層も高いレイヤーの課題がたちあがります。そこで初めて、これまでは理解しきれていなかったことが「そういうことだったのか!」と腹落ちします。

メタ認知による高揚感こそが、
勉強が楽しくなるメカニズム

メタ認知による高揚感こそが、勉強が楽しくなるメカニズム

子育ては、いろんなことが起こります。目の前の課題を乗り越えるために、「知識とスキル」を学び続ける必要が生じるでしょう。そうして学びを重ねるたびに、これまでとは違う景色がみえてきます。

前回学んだことと、今回学んでいることが、相互に反応して、より深い理解を生み出します。メタ認知と呼ばれるこの人間特有の「脳の作用」は、ある種の高揚感さえもたらします。「勉強が楽しい」と思うメカニズムは、ここにあります。

人は、学び続けるように宿命づけられている

人は、学び続けるように宿命づけられている

この繰り返しによって、人は成長し続けます。終わりはありません。これは、人間という生物に課せられた宿命であり、すべての人に与えられたギフトでもあります。

哲学者パスカルは「人間は考える葦である」と言いました。学び続けることをやめない限り、人間は人間たり得るのです。

逆を言えば、それをやめた瞬間、人間はただの葦になります。

「子育てを学ぶ」という営みは、そんな人としての本質的な喜びとやりがいが横たわっています。しかも、学んだことは、わが子の育ちに必ず活かされます。

“行動する人”と“行動しない人”

“行動する人”と“行動しない人”

問題にぶつかって踊り場にたったとき、人は、“行動する人”か“行動しない人”の二つに分かれます。

前者の“行動する人”は、学びを深めて正面から子どもと向き合い、解決をはかります。そして、行動した数だけ、親として成長し、子どもの成長も加速します。その成長は、乗数(2倍ではなく2乗)で起こります。

一方、問題をスルーして行動しない後者は、まわりと同じ選択をして安心を得ようとします。子どもの言うことよりも、自分のエゴと安心感を優先します。そうして親としての成長もせず、子どもの成長の邪魔をしながら、問題が悪化します。

両者の違いを想像すると、パスカルの言葉の重みが実感できるというものです。

ただ学び続けることにも問題がある

ただ学び続けることにも問題がある

一方で、「ずっと学び続けるだけ」というのも問題があります。学びのあとは、必ず実践しなければ意味がありません。

『学び』を『実践する』と新たな問題にあたります。それを乗り越えるために『学びにもどる』。その学びをたずさえて、また『実践する』…。

つまり、『学び』と『実践』は、対になって繰り返されるものなのです。

ずっと実践をつづけるだけでも、ずっと学び続けるだけでも、親も子も成長は得られません。

『実践』と『学び』のサイクルをまわす

『実践』と『学び』のサイクルをまわす

アタッチメント・アカデミアは、『実践』と『学び』のサイクルをまわす人が集まる場であり、新たな学びを得る機会です。学びの必要性を感じたら、ここへ来て学んでください。学びを得たら、また実践してください。必要になったときは、いつでも帰ってきてください。ここには、同じ志をもつ仲間がいます。必要な学びの機会があります。入学も卒業もありません。

『実践』と『学び』のサイクルは、一生続くものなのだから。
年齢も、職業や立場の違いも、何も関係ありません。

ただ学び、ただ実践する、そして成長し続ける。
その営みのための場と機会を提供してまいります。

アタッチメントアカデミア
学長 廣島 大三

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