子育てに体験を入れると教育になる

子育てに体験を入れると
教育になる
生まれてから3年間のアタッチメントが人生を方向付ける
「子育ては、アタッチメントの営みである」
わたしが、常に伝えつづけていることです。発達心理学では、母子の間で行われる心のやりとりを、「アタッチメント(愛着関係)」と言います。このアタッチメント形成がうまくいっていると、母子関係が良好に育まれ、母親は精神的に安定し、満たされます。それだけでなく、赤ちゃんの体の発育や、脳神経系の発達、運動系の発達も促されることがわかっています。
子どもが育つ、発達する、成長するということは、アタッチメントのやり取りの積み重ねの結果です。その人の性格も、能力も、頭のよさも、思考のクセも、運動神経も、すべてそうです。そして、アタッチメントは、われわれの人生において、一生涯作用し、機能し続けます。

このアタッチメントが、人生においてもっとも重要な時期は、0・1・2歳です。この時期に形成され、育まれたアタッチメントは、言ってみればその子の人格の土台です。自己肯定感にはじまり、自律心、共感性、好奇心、探求心といった要素が、その土台を形成します。アタッチメントは、一生ものではありますが、生まれてから3年間のアタッチメントは、その子の人生の方向性を決めるほどの影響力があります。
親や大人が「教育と思ってやること」の正体
前章でお伝えしたとおり、ある時期から、「教育」が意識されるようになり、やがて子育ては、教育の営みへと移ってゆきます。ある時期とは、アタッチメントの営みがひと段落した3歳以降であることは、ごく自然の流れと言えるでしょう。

アタッチメントの土台の上に、教育をのせることによって、子どもの能力を引き出し、有能性へと導き、より高度な認知機能を発現し、高い知能と運動機能を獲得します。非認知スキルの獲得と言い換えることもできます。それによって人生のアドバンテージを築くことができます。これは、まぎれもなく真理です。ただしこれは、本当の教育を与えることができれば・・・の話です。
「教育が曲者である」ことは、前章で述べた通りです。親が与えた教育が、子どもの人生を踏みにじる結果を生むことがあります。なぜそのようなことが起こるのかというと、親や大人が「教育と思ってやること」は、親自身の「エゴ」や、「自己満足」、「見栄」、「承認欲求」といったものを、子どもに押し付ける支配行為になりがちだからです。
本当の教育とは何なのか?
子どもには、アタッチメントの土台の上に、「本当の教育」をのせてあげる必要があります。そうすれば、子どもは、一生もののアドバンテージを獲得することができます。
では、3歳児にとっての本当の教育を考えてみましょう。発達心理学者ジャン・ピアジェの認知発達論によれば、この時期の子どもは、体験をとおして感覚的に学び、より高度な認知を身につけます。体験をとおして新たな発見を繰り返すことによってのみ、発達するのだと言います。暗記や訓練が、この時期の子どもにとって教育とはなり得ないことは、ピアジェが教えてくれているとおりなのです。
カギとなるのは「体験」です。その体験とは、単なる経験ではなく、その子の世界がつむぎだした独自の物語を含む体験です。こうした体験の積み重ねこそが、教育の正体です。

ところで、体験には、「日常体験」と「非日常体験」があり、発達段階に応じて子育てのなかに意識的に取り入れていきます。これは、3歳児だけでなく、大人の脳になる9歳手前の8歳くらいまで当てはまります。「日常体験」と「非日常体験」については、別章でくわしくお話しいたします。
子育てのなかに、「体験」を意図的・意識的に織り込む

つまり、子育てのなかに意識的に「体験」を織り込んでゆくと、結果としてそれが教育になるということです。その際、親や教育者は、子どもが直面している体験の一つ一つを、発達のプロセスとして受け止め、子どもに「体験」の機会を意図的・意識的に与えます。それによって、アタッチメントの土台に、非認知スキルに代表される一生もののアドバンテージを築くことができるのです。
この一連の営みこそが、「本当の教育」といえます。