究極の体験教育は海外体験

究極の体験教育は海外体験
人生を変えるほどの価値のある体験とは?

体験には、さらに高度な段階として「海外体験」があります。これは、非日常における非日常体験、つまり究極の非日常体験です。国内の非日常体験なら、県をまたげばできる、あるいは同じ県内でもできます。期間も日帰りから2~3泊程度でできます。海外となると、そうはいきません。だからこそ価値があるし、子どもにとって絶大な影響力を発揮します。これこそ、まさに究極の教育投資です。この体験は、将来のその子の可能性の広がりであり、考え方の広がりであり、生き方の広がりになると、わたしは考えています。
言葉が通じない地で、はじめてできる体験

海外体験で得られるもっとも影響力の大きい要素は、「言語」でしょう。これは、単に「英語が話せるようになる」という目的を意味しているわけではありません。「言語が違う環境に身を置く」ことで子どもに起きる主観的な経験です。それが、その子のなかに起こす広がりです。「言ってることがわからない・・・なのになんとなくわかりあえた!」という体験。それによって「誰とでもわかりあえる」「どこででもやっていける」「なんだってできる」といった“広がり”が生まれます。
世界の違いと、人類の共通性を体験する
人種の違いや日常の所作の違いなどによる文化的な体験もあります。白人や黒人、南米やアフリカ、ヨーロッパなど、さまざまな人種が存在します。みんな日本人とは見た目が違います。挨拶の仕方や人との接し方、距離感なども違います。最初は怖いと感じるかもしれません。でも、触れ合ってみると、多くの人が良い人でフレンドリー、でもそうでない人もいる。なんだ、どこも変わらないじゃん!このように、いろんな違いを認めつつ、一周回って同じであることに気づく体験。このように、本当の意味で人種差別をなくすような広がりにさえつながるのです。

次元を超えた環境の違いも、海外にはあります。空気が違う、建物が違う、景色が違う、そこから発するにおいが違う、気候が違う、太陽の熱さが違う・・・こうした日本国内では起きえない圧倒的に違う環境のもとに起こる感情や気づき、学び、インスピレーションがあり、それが体験として落とし込まれます。
グローバルの概念を体験をもって身につける
海外体験においては、グローバル(全世界で通用する)で、エターナル(いつの世にも通用する)で、エッセンシャル(本質的)な学習要素がふんだんに含まれます。世界は広い!と言ったときに、国内しか知らなければ、その“世界”は、国内しか実感していません。海外で様々な体験をして、はじめて“世界”は、日本を超えた世界になるのです。日本に帰ったあとも、その世界の視点から、すべてを体験するのです。

また、海外は、不安がいっぱい、怖いこともたくさん起こるでしょう。そうした圧倒的な不安を乗り切った先には、大きな精神的成長が得られます。レジリエンス(回復する力)が養われます。中学生や高校生になれば、海外体験は、圧倒的な自信を育てます。殻を破り、限界を突破する体験ができます。たとえば、いじめにあったとか、対人関係に悩んだとか、学校生活が思うようにいかなかった、という子が、海外留学をして、日本の外からそれを眺めてみたら、「なんだ、言葉も通じないここでの苦労に比べたら、大したことないじゃん。」と思えたりするかもしれません。
「よりよく生きる」の次元を、各段位に引き上げる
このように海外体験は、「よりよく生きる」の次元を、一段も二段も上に引き上げてくれる体験であると、私は考えています。昨年(2023年)から、わたしが掲げているコンセプトに「世界のなかのワタシ」というのがあります。(くわしくは、こちらのブログ記事をお読みください)「世界のどこででもやっていける」「なんだってできる」そういうメンタリティ(非認知能力)を持つ子どもです。そういう子どもに育てるうえで、海外体験はとても重要だと考えます。