助産師人生の転機のひとつひとつが、今の自分につながっている | アタッチメントアカデミア

助産師人生の転機のひとつひとつが、今の自分につながっている

助産師人生の転機のひとつひとつが、今の自分につながっている

北海道の東の果て北見市で「まつざき助産院」を営み、おっぱいマッサージとベビーマッサージを展開する松﨑さんの発表です。

松﨑さんは、臨床の現場で20年以上助産師として働きましたが、体調不良によって2度の転機を経験します。

最初は、助産師としての現場を離れることを余儀なくされます。

この転機を学びに使い、ABMアタッチメント・ベビーマッサージ講座を受講し、インストラクター認定を受け、知り合いの助産院などでベビーマッサージ教室を開きます。

その後、看護学校の正教員になります。

ここで2度目の体調不良による転機を迎え、教員の仕事を断念します。

これを機に、人生を見つめ直した松﨑さんは、定年後に取り組もうと思っていた乳房ケア専門の助産院の開業に踏み切ります。

体調を崩したことを、人生の転機と捉え、ベビーマッサージへ

もともと松﨑さんは、看護師からスタートして、その後、助産師となり産科医院の臨床で、出産の現場に20年以上身を置かれました。

ところが平成21年に体調を崩してしまい、母子両方の命を預かる現場にいられる状態ではなくなってしまいます。

そして、長年携わってきた出産からは、身をひくことを余儀なくされます。

しかし、松﨑さんは、このことを逆に「転機」と捉え、出来た時間でこれまで学びたいと思っていたベビーマッサージを学ぶことを決意し、ABMアタッチメント・ベビーマッサージ養成講座を受講し、インストラクター認定を受けます。

そして、娘の子ども(孫)に始まり、それがその知人にひろまり、やがては、知り合いの助産院でもベビーマッサージ教室を始めるようになりました。

この時に、いつも大事に伝えていたのは「やり方や順番が大事なんじゃない。心だよ、愛着だよ、アタッチメントだよ」ということ。

またもや体調悪化で、教員を断念。しかし、この「転機」のおかげで再発見した「助産師としての最初の思い」

そんな毎日を送っていた翌年、縁あって看護学校の正教員の話が持ち上がり、看護教員となりました。

臨床現場ではありませんが、将来の看護師や助産師を育成する仕事には、やりがいを感じました。

看護教員として、6年ほど経った頃、またもや体調を崩してしまい、教員の続行ができない事態に。

しかし、今回も松﨑さんは、これを「転機」と捉えます。

そして、時間をかけて、ゆっくりと、これからの人生を考えました。

「一体、自分は何をやったら良いのだろう?」「何がやりたかったんだろう?」そんな自問自答の中から一つの答えにたどり着きます。

それは、もともと定年後にやろうと思っていたこと。

松﨑さんは、自らの出産の際、乳腺炎で辛い日々を送りました。

そうした妊婦さんの助けになれる「乳房ケアのための助産院」。

こうして、「出張おっぱいマッサージ・まつざき助産院」が誕生します。

出張専門という開業助産師の新しいカタチ

開業に当たって、松﨑さんは、先輩の開業助産師のアドバイスを参考に、施設や箱を持たない出張専門という型を取り、「出張おっぱいマッサージ」というコンセプトを立てました。

このスタイルは、開業助産師の新たな型になり得ると私は思います。

       

廣島のビジネス的考察

ビジネス的に考えて、この選択は、とても賢い選択と言えます。

乳房ケアを中心にするなら、施設は必要ありません。

その分、開業費用を大幅に抑えることが出来ます。

また、出張のスタイルは、固定の箱を持つよりも商圏を広く取れます。

色々な地域を訪問しながら、需要の多い地域がわかってきたら、そこに拠点を置くことも出来ます。

このモデルの集客は、クチコミが主体ですので、拠点は、店舗物件でなくても、マンションの一室で十分です。

街を歩いていて、ふと「おっぱいマッサージ」に立ち寄るというものではありませんから。

開業と言うと、つい固定観念で箱ものを作ってしまいがちですが、助産師は、身一つでやっていける職業であり、本来のお産婆さんだって、昔は出張だったわけです。

私は助産師業界のことはよくわかりませんが、松﨑さんのモデルは、最新の助産師開業スタイルであり、原点回帰でもあるのだと思います。

「おっぱいマッサージ」と「ベビーマッサージ」の2本立ての開業が成功の秘訣

松﨑さんは、平成28年1月の開業当初から、「おっぱいマッサージ」のほかに、「ベビーマッサージ」を事業の柱に据えました。

この二つの柱は、のちに非常にうまくかみ合います。

開業当初は、思うように人は集まりません。

しかし、少し辛抱して続けていると、だんだんクチコミが機能しはじめ、人は増えてゆきます。

その意味で、松﨑さんがベビーマッサージ教室を経験していたことが、今回の開業で大きく活きています。

ベビーマッサージは、お母さんたちの関心が高く、人を集めやすいのです。

その上、プライベートレッスンという形態のおかげで、お母さんとの関係性は深くなります。

関係性が深いからこそ、クチコミを流してくれます。

また、その中から、おっぱいマッサージを利用する流れもできます。

一方で、おっぱいマッサージのお母さんたち。

この人たちは、ベビーマッサージの人よりも、より関係性は深くなります。

そのクチコミは強力です。

この時のクチコミは、より身近なベビーマッサージです。

やがて、おっぱいマッサージの利用者が、数人をクチコミして、ベビーマッサージのグループレッスンが始まるという型が出来ていきます。

この「ベビーマッサージ」と「おっぱいマッサージ」の両建てのクチコミを作ることが出来たことが、松﨑さんの開業が軌道に乗った秘訣です。

開業してから花開いた、数年前のベビマ教室での縁

ベビーマッサージ教室は、別の形でも花開きます。

教員になる前、ベビマの資格を取ってすぐの頃、ある助産院でベビマ教室の依頼を受けました。

その時の生徒さんの一人が、隣の津別町の保健師さんでした。

数年たって、その方の縁で、津別町の子育て支援としてのベビマ教室につながったのです。

その後、この流れはどんどん広がり、置戸町でも始まり、大空町、そして地元の北見市と、公共の子育て支援としてのベビマ教室の流れが、4市町村にわたって広がります。

当然、この人たちの中から、おっぱいマッサージを利用してくれたり、クチコミを起こしてくれる人も出てきますので、集客として機能するわけです。

これまでの経験が、すべて役に立っていま軌道に乗っている!無駄なことは何もない!

開業から3年目、ベビーマッサージのプライベートレッスンから、おっぱいマッサージへ、おっぱいマッサージから、ベビーマッサージのグループレッスンへ、という相互作用の流れが出来てきたころ、まつざき助産院は、軌道に乗ります。

松﨑さんの場合、ベビーマッサージが、開業時の大きな強みとなりました。

それだけではなく、看護教員時代に培った知識や経験は、お母さんたちの育児相談に乗る上で大いに強みとなり、お母さんたちとの関係性を深め、信頼を集めることに寄与しました。

つまり、開業前に試しにやっていたベビマ教室と、看護教員としての6年間の知識と経験が、開業の大きな強みとなったわけです。

「人生無駄なことはひとつも無い」ということを、自らの実践で教えてくれています。

これからの挑戦と展望、そして助産師としての生きがい

「妊娠→出産→育児」は繋がっている。

出産の前後に携わる助産師だからこそ、妊娠から、産後の育児までの周産期に一貫した関わりを持ちたい。

そんな思いから、産前からの関わりを持つために、松﨑さんが選んだのは、「アタッチメント・ヨガ」のマタニティ・ヨガと、産前から産後にかけて提供する「子育てマインドフルネス」です。

「妊娠、出産、育児、どの時期においても、どんなお母さんも、精神が不安定なときはあります。

そうしたお母さんに寄り添い、サポートすることをテーマにしていきたい。」そう松﨑さんは語ります。

廣島からひとこと

松﨑さんは、2度の体調不良という逆境を転機と捉え、それぞれ人生の新しい扉を開き、その結果として、いまの「まつざき助産院」があります。

それは、「人生無駄なことは何一つない」ということを、わたしたちに身を持って教えてくれています。

今でも体の不調と折り合いながら、次の自分を描いて前に進む松﨑さんの生き方を、後身の者として見倣いたいものです。

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